2011年1月26日水曜日

■「審判の原点」

本日、アジアカップ、日韓戦の審判についてコメントではなく、今日の日経朝刊の以下記事について。

実は、慶應ソッカー部OBチーム「慶應BRB」に所属する選手は全員、審判資格の取得が義務付けられている。東京都社会人リーグの中でも、全選手に審判取得を義務付けているチームは無いのではなかろうか?もちろん、昨年、自分も35歳にして4級取得した。(→詳細コチラ) (※東京都社会人リーグの規定は、1チーム6名以上の審判が義務付けられている) 審判取得については、丸1日拘束されて、9,000円の取得費用もかかるし、更に、毎年の免許更新費用も約3,000円と、バカにならない!1チーム6名以上審判取得者がいれば、問題ないわけで、全員で取るのは非効率だなと、正直、最初、自分も思った。藤岡主務の断固たる意見「チームとして一部の選手に審判の負担を強いるのは良くない、1年に一度くらい、サッカーを愛する者として、審判講習を受ける日があってもいいじゃないか。いくら忙しくても、1日は確保できるし、無駄じゃない!」と言われて納得した自分がいた。今日、以下記事を読んで、改めて、チーム全員で取得する意味を強く感じる。

-----1/25日経朝刊(スポートピア)ルールが紳士を育む 岡田正義---

高校のサッカー部顧問だった小峯英夫先生の勧めで大学1年の時に審判資格を取った。初めて笛を吹いたのは1977年8月24日、高校選手権の東京都予選だった。それから昨年引退するまでの間、1600という数の試合にかかわった。「その中で会心のジャッジは何ですか」とよく聞かれる。正直、若いころは反省の連続だった。J1とJ2合わせて419試合、代表同士の国際Aマッチは50試合で主審を務めたが納得のいく試合は1割にも満たない。サッカーは勝者も敗者も審判も観客も全員が、「今日のジャッジは良かった」と思える試合は少ないものなのである。

 そもそも、イングランドのフットボールアソシエーションが1863年に今に連なる統一ルール(FAルール)を定めた時、主審は存在しなかったことを皆さんはご存じだろうか。この自律性は1800年代にスポーツが紳士教育の一貫としてパブリックスクールに採り入れられたことと関係がある。当時のルールは選手を縛るものではなく選手が楽しく安全に公平に、思う存分試合をするためにあると考えられていた。 大学に進んだ学生たちは出身校ごとにルールが違うことに気づき、ケンブリッジ大学を中心に統一ルールを作った。FAルールはそれを下敷きにしたもので、そこには紳士のたしなみとしてのフェアプレー精神が生きておりルール順守は当然。反則があっても故意ではないと看過され、試合は双方のチームから1人ずつ出たアンパイアがつえを振りながら進めた。 1871年にFAカップが始まると牧歌的な時代の終わりが始まった。サッカーで名声が得られるようになるにつれ意図的な不正や違反行為が続出。判定にも「えこひいきだ」といった文句がつけられ収拾がつかなくなった。その結果、中立の2人のアンパイアをピッチ内に置き、意見が一致しない時はピッチ外のレフェリーが判定に加わるようにしたのである。 1890年にはアンパイアはつえを旗に変えてタッチライン際に立ち、レフェリーは笛と手帳と時計を持ってピッチに入る形が整った。短期間でレフェリーに権限が集中したのは迅速な試合運営のためと、フェアプレー精神が退化していったことの裏返しだろう。

 こんな大昔の話を持ち出したのは「原点」を知ってほしいからだ。子供の試合で判定に文句をつける監督や親御さんがいる。主審は「請われてピッチの中に入った」のである。普通、人にモノを頼んだら、その出来具合にケチをつけないのは最低限の礼儀だろう。 そして選手にも知ってほしい。ルールは紳士淑女を育てるためのもので審判だけ知っていればよいものではないことを。残念ながらルールを知らない選手は結構いる。(元サッカープロ審判)

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【所要時間:30分】

日韓戦、最後の失点したセットプレーで、全員で一気にライン上げてオフサイド取るくらいの、冷静さ欲しい。しかし、前田と本田、セットプレーのディフェンス頑張ってた。岡崎もタフだな。