2012年11月23日金曜日

■「暁星魂」

先日、暁星&慶應ソッカー部の後輩、玉田と久しぶりに会った。
玉田は学年5つ下、暁星でも、慶應でも一緒にプレーしたことはない。ただ、地元が同じで、彼が小学生、俺が高校生の時、朝5:37発の電車で、ほぼ毎日一緒に暁星に通っていた。もちろん、当時は一度も話したことは無い。車中、俺は爆睡、彼は読書(主に「ズッコケ探偵団」)を読んでた。「暁星の小学生は、朝から読書するなんて、すごいなぁ」と当時、感心した憶えがある。玉田の方は「何であの人、毎朝爆睡してるんだろう。」と思ってたらしい。(後に彼も爆睡するようになるのだが)
俺の背中を追ったつもりは全くないだろうが、大学も同じ、会社は同業他社。まぁ、何かの縁なんだろうか。そして、今はアストラ倶楽部で監督兼プレイヤー。少なくともアストラを10年以上支えてきた男。来期は慶應BRBと東京都1部で戦うことになろうとは…。たわいもない暁星サッカーの話。行きつくところは、暁星魂=林義規の教え。俺らの中には間違いなく同じ血が流れている。

以下は、玉田が4年前に社会人チーム「アストラ倶楽部」の90年誌に寄稿した文章らしい。素晴らしい文章なので転載。
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「10年前のホイッスル」
10年前の1998年11月、選手権都大会準決勝修徳戦、場所は駒沢陸上競技場。暁星はこの年、國學院久我山高校を2年生MF前田遼一(現ジュビロ磐田)の得点で破り、6年ぶりのインターハイ出場を果たした。本大会では2年生FW唐松宏光の大爆発と強固な全員守備で全国でもベスト8の成績を残した。「今年の選手権は帝京と暁星が有力」という大方の予想はあったものの、帝京とは逆ブロックになっていたため、この修徳戦が山場になることは誰もがわかっていた。

 様子を伺いながら、互いに決定機のない試合展開は終盤まで続く。1点勝負の試合であることは会場の張り詰めた雰囲気が物語っている。残り10分を切ったところで暁星にアクシデントが起こり、PKを献上。喜ぶ修徳、焦る暁星。しか
し、この絶体絶命のピンチを1年生GK廣瀬俊一郎が見事にストップし、流れを引き寄せる。ただ簡単には堅い試合展開は変わらず、このPK以外の決定機はないままロスタイムへ。修徳の右からのコーナーキック。合わせたのは長身の左サイドバックだった。ボールは鮮やかに暁星ゴールへ吸い込まれる。PKすらも防いだ強固な守備は、一瞬のほころびによって相手に待望の先制点を与えてしまった。その数十秒後、主審の高らかなホイッスルが秋の夕暮れに吸い込まれた。小学生時代から夢描いていた選手権への道は、この日閉ざされた。
 
 10年後、慶應義塾大学を経て会社員となった私は10年前とは違った暁星の仲間と球を追い続けている。小学生のときに選手権であこがれていた先輩から、一昨年の選手権に出場し年下ながら憧れていた後輩、さらには10年ぶりに同じチームに所属する同期まで年齢の幅はとても広い。その縦のつながりの強さは暁星カラーを色濃く映し出していて、他にはない伝統、歴史を感じずにはいられない。アストラ倶楽部は過去天皇杯(1923年)での優勝経験もある名門であり、暁星サッカー部と同じようにたくさんの先輩の汗や喜び、苦労が詰まっているチームだ。所属する選手は一部学生を除いてはみな仕事をもっており、「勉強とサッカー」の両立をしていた暁星ボーイは、「仕事とサッカー」の両立をする大人へと成長している。

 サッカーにおける学生時代と社会人との一番の違いは、一言で言えば「主体性」ということになるだろう。学生時代は林先生、荒木先生がいて、練習メニューは先生が与えてくれるし、それをこなしていればある程度上手になり、勝てるようになる。社会人では練習はもとより、チームの運営も自分達でやらなければならない。決められた枠の中で努力することが学生時代にするべき努力だとするならば、社会人になってすべき努力は自分の枠を広げる努力だ。

 両立という部分で考えると学生時代の勉強にあたるものが仕事になるわけだが、それを単純に比較することはできない。なぜならば、背負っている責任の差があまりにも大きいからだ。学生時代、勉強をサボっても跳ね返りを受けるのは自分だけだった。しかし仕事をサボると跳ね返りを受けるのは自分だけではない。会社の同僚や、家庭を持つ人は養うべき家族の生活まで跳ね返りを受ける可能性があるのだ。そう考えると社会人になってまでわざわざサッカーをするということは、仕事が疎かになるリスクがあるともいえる。仕事とサッカーの両立をするためには仕事で覆われている自分の枠にサッカーの入り込むスペースを自ら作らねばならず、学生時代とは違った覚悟が必要なのである。

 では、アストラ倶楽部のメンバーがそこまで考えているかというと決してそうではない。理由は単純かつ明快。サッカーをすることでみな飛躍的に仕事の効率が上がっているからだ。経験したものにしかわからないことだが、これは事実である。社会人になってまでサッカーを続けるアストラメンバーの体内には色濃いサッカーの血が流れており、その血はサッカーをすることで活性化され、体と脳に活力をもたらす。その色は暁星のユニフォームと同じ赤、味はショートパスの有効性とインターセプトの美学を併せ持つ暁星の味だ

 普段仕事では味わえない興奮と感動がある。サッカーをすることで生活に張りが出て仕事の効率も上がる。これだけでサッカーを続けるには十分すぎる理由だが、同じ血が流れる仲間の存在はその意義を何倍にも膨らませてくれる。事実、私の例で言えば、学生時代には恐れ多くて話すことすら許されなかった先輩が、今では人生のかけがえのない存在となっている。学生時代に育てた幹をさらに大きく出来ることが楽しくて仕方がない。

 今になって思う。10年前のあの日、駒沢競技場で聞いたホイッスルは試合終了のホイッスルではなく、ハーフタイムのホイッスルだったのだと。林先生の胸で流した涙は、幹を大きくするための栄養だったのだと。
 私は今、アストラ倶楽部で同じ血が流れる仲間とともに後半戦を戦っている。

 小学校の校門にある言葉。
「困苦や欠乏に耐え 進んで鍛錬の道をえらぶ 
気力のある少年以外は この門をくぐってはならない」

いつまでも、この言葉を胸に。
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【所要時間:20分】
今週末、リーグ戦最終節。
来年に繋がるとか、そういう理屈抜きで、
今あるのも全てを出し切って、勝って終りたい。