以下、昨日の日本経済新聞より抜粋。
「文武両道」とは、
「文」を極めるには「武」によって培われれる健全な肉体と精神が必要であり、「武」を極めるには「文」によって培われれた論理的思考が必要である。
と、言うは易しで、本当に難しい。
ロールモデルも無くなりつつあるように思う。
ロールモデルも無くなりつつあるように思う。
親とすれば、文武両道と言えば、単純スポーツも勉強も教えてくれるという感じでしょうか。
スポーツを通じて、「ライフスキル」「良い習慣」を身につけることで得られる具体的な効果を示し、スポーツが教育コンテンツとしての一定の価値を持つことを示さないといけないんだろう…。
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■スポートピア 子供の将来
無限大 朝原宣治
選手たちがプレーを通じて発したメッセージは「決してあきらめない」ということ。パラリンピックを観戦してそう思った。困難を乗り越えて競技を始めた意思の力、厳しい練習を続けて鍛え上げた体力、気力。できないことを嘆くより、自分に何ができるのかを考えることの大切さを思い知らされた。今後は競技のさらなる充実に向けて環境の整備が望まれる。
環境といえば、最近、自分の子供が小学校に通っていることもあって、子供たちを取り巻く勉強やスポーツ、文化活動の環境について考えることが多い。スポーツなどに打ち込むのは素晴らしいことだが、同時にしっかりと勉学にも励んでほしい。それが、私も含め、子を持つ親に共通する願いではないだろうか。
ただ、最近は中学校の受験という問題もあるので、子供たちは学校の授業以外に受験勉強にもかなりの時間と労力を割かねばならない。その分、スポーツや文化活動に確実にしわ寄せが来ている。
私の主宰するスポーツクラブ「NOBY T&F CLUB」の小学4年生から6年生を対象としたクラスでも、進学塾の授業が忙しくなったと、寂しそうな顔で退会していく小学生が増えている。受験を選ぶのか、あるいはスポーツや音楽、美術などを選ぶのか、極端な価値の二極化が進んでいるのが気になる。
勉強かスポーツか、あれかこれかではなく、子供たちがどちらにも思い切り力を注いでもらいたい。「文武両道」は日本の伝統的価値観である。それを可能とする環境を実現するにはどうすればよいのか。人生の半分を競技スポーツの世界で生きてきた私にとって、とてつもない難問である。
今では、インターネットなどの普及によって、情報が簡単に手に入り、多くの知識を得ることができる。子供たちの将来像もイメージしやすくなっているといえるが、心配なこともある。
子供たちも、周りの大人たちも、ついつい子供の将来の姿を安易に予測して、安全で安定的な進路を選ぼうとしがちではないか。その結果が、受験勉強一辺倒というのではあまりに寂しい。
子供たちの可能性は無限である。そんなに早々と進むべき道を決めてしまう必要はない。私の場合、中学でハンドボールをやり、陸上競技と出合ったのは高校に入ってから。それをとことんまできわめようと思ったのは大学生の頃の話だ。競技の世界ではむしろ遅い方である。
長い人生、少しくらい遠回りしても構わない。失敗を恐れずに挑戦でき、それぞれの持つ才能が様々な分野で引き出されてこそ豊かな社会といえるのではないか。私も、NOBYやアスリートネットワークの活動を通して、そんなスポーツの環境づくりに貢献したいと思っている。
(大阪ガス陸上部コーチ)
環境といえば、最近、自分の子供が小学校に通っていることもあって、子供たちを取り巻く勉強やスポーツ、文化活動の環境について考えることが多い。スポーツなどに打ち込むのは素晴らしいことだが、同時にしっかりと勉学にも励んでほしい。それが、私も含め、子を持つ親に共通する願いではないだろうか。
ただ、最近は中学校の受験という問題もあるので、子供たちは学校の授業以外に受験勉強にもかなりの時間と労力を割かねばならない。その分、スポーツや文化活動に確実にしわ寄せが来ている。
私の主宰するスポーツクラブ「NOBY T&F CLUB」の小学4年生から6年生を対象としたクラスでも、進学塾の授業が忙しくなったと、寂しそうな顔で退会していく小学生が増えている。受験を選ぶのか、あるいはスポーツや音楽、美術などを選ぶのか、極端な価値の二極化が進んでいるのが気になる。
勉強かスポーツか、あれかこれかではなく、子供たちがどちらにも思い切り力を注いでもらいたい。「文武両道」は日本の伝統的価値観である。それを可能とする環境を実現するにはどうすればよいのか。人生の半分を競技スポーツの世界で生きてきた私にとって、とてつもない難問である。
今では、インターネットなどの普及によって、情報が簡単に手に入り、多くの知識を得ることができる。子供たちの将来像もイメージしやすくなっているといえるが、心配なこともある。
子供たちも、周りの大人たちも、ついつい子供の将来の姿を安易に予測して、安全で安定的な進路を選ぼうとしがちではないか。その結果が、受験勉強一辺倒というのではあまりに寂しい。
子供たちの可能性は無限である。そんなに早々と進むべき道を決めてしまう必要はない。私の場合、中学でハンドボールをやり、陸上競技と出合ったのは高校に入ってから。それをとことんまできわめようと思ったのは大学生の頃の話だ。競技の世界ではむしろ遅い方である。
長い人生、少しくらい遠回りしても構わない。失敗を恐れずに挑戦でき、それぞれの持つ才能が様々な分野で引き出されてこそ豊かな社会といえるのではないか。私も、NOBYやアスリートネットワークの活動を通して、そんなスポーツの環境づくりに貢献したいと思っている。
(大阪ガス陸上部コーチ)
------------日経電子版 より
【所要時間:10分】
昨日、アストラ倶楽部100周年準備委員会に参加。
初めて会う諸先輩方、気さくな方が多い。