今年もサッカー天皇杯が始まった。
天皇杯最多優勝チームはどこか?
これは、知らないとマズイです。
我らが慶應BRBですから。
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そんな中で、よくよく歴史を調べると面白いので、ちょいと抜粋。チームに歴史あり。
■34回大会(1954年)→延長4回で170分?!
決勝は170分の死闘
慶応RBRと東洋工業の対戦となった決勝は、1対1のまま延長戦に突入。激しい攻防となった延長戦も両チーム2点づつを取り合って譲らず、決着がつきませんでした。Vゴール方式もなかった当時、試合は再延長、再々延長と続き、延長戦は都合4回。疲労のため退場者が出る苛酷な試合は、最後の延長戦に2点をあげた慶応RBRが5対3で勝ち、キックオフから計170分に及ぶ死闘に終止符を打ちました。
この年、日本は始めてワールドカップ地区予選に参加。東京で行われた韓国との予選は、1対5、2対2の1敗1引き分けに終わり、第5回スイス大会への出場権を逃しました。1998年フランス大会で到達した日本のワールドカップへの道は、この年から44年に及ぶ長い道のりでした。
■12回大会(1933年) →早稲田7分遅刻で不戦敗?!
3チームの寂しい大会
昭和8年(1933年)に開かれていますが、行事としては昭和7年(1932年)の大会。前々回に続いて東京を離れ、甲子園南運動場で行われました。出場チームは3チームと寂しい決勝大会となりました。
この大会最大の話題は、決勝大会よりも関東予選にありました。関東予選決勝は早稲田WMW対慶応クラブのいわゆる「早慶戦」となりましたが、決勝開始の午後2時になっても早稲田WMWの選手がグラウンドに姿をあらわさず、審判団が慶応クラブの不戦勝を宣告しました。早稲田WMWはそのわずか7分後にユニフォーム姿で到着。思わぬ「不戦敗」に驚き、試合を挙行してくれるよう懇願しましたが、受け入れられませんでした。
決勝大会は、この不戦勝で関東代表となった慶応クラブが初優勝。早稲田WMWには悔みきれない遅刻となりました。
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当然、天皇杯の歴史には、慶應BRBも出てくる。
※ちなみに、暁星サッカー部の流れをくむアストラクラブも
第3回大会(1924年)に天皇杯優勝している。
【所要時間:20分】
9月5日に行われたIリーグ。
産業能率大に7-1で勝利。今期3勝目!
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