2011年11月6日日曜日

■「ソッカー部50年史/静学井田勝通監督」



温故知新。ある意味バイブル。























一昨年、OBチーム、慶應BRBを復活させるにあたって、チームの歴史を調べたいと思い、「ソッカー部50年史」の存在を思い出し、読みだした。50年史の存在自体は、自分が現役時代の時、ちょうど、自身の合宿所の部屋の二段ベットの使っていない上のベットに山積されて(埃被って…)眠っていたのだが、当時は、一ページも開くことなく卒業したことを思い出す。この50年史が、とにかく興味深く、面白い。現役時代、何で読まなかったのか!と後悔する程、過去の先輩方の熱いメッセージが込められている。これ、お世辞抜きで。クラマー氏来日以前から、ドイツの最先端のサッカーを取り入れたのは他でもなく、慶應ソッカー部将濱田諭吉初代主将であり、その後の栄光と、いみじくも50年史が創刊された1978年に、ソッカー部は2部に降格してしまっていたから、諸先輩方から贈られる寄稿文も「今の現役はなっとらん的な内容」が多いのが気になるが、とにかく熱い。

そんな中で、静岡学園の井田勝通監督(正確には元監督で現在は自身のクラブチームで指導)も寄稿を寄せている。井田監督がソッカー部OBであることは知っていたが、慶應義塾高校の学生コーチをやられていたことを、恥ずかしながら、この本で初めて知った。井田監督のルーツは、塾高にあるといっても過言では無い?実際、今でも毎年塾高は静岡遠征で静岡学園と試合をしている。そんなこんなの歴史をちょこっと、知るだけでも、慶應でサッカーをやる意味や、目指すモノが自然と変ってくるのではないかなと思う。教えることはあまりないが、伝えるべきことは沢山ある。以下、井田さんの寄稿文。

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井田勝通(昭和四十一年卒業)静岡学園高校サッカー部監督
日本一は血と涙の練習で
慶応高校のコーチに 大学の四年生になった時、初めて慶応高校のコーチをやる事になった。コーチングの事については一切知らなかった。しかし、引き受けた以上立派な成績を残したかった。当時の監督であった大前卓也先輩と相談して、とにかくカー杯やることにした。良い選手を育てる、といった気持ちはなく、とにかく勝てるティームを作りあげることにだけ力を注いだような気がする。『もう少しコーチングの事を知っていればなあ・・・』。いま考えれば残念である。
四月、五月、六月はほとんど勝てなかったと記憶している。それでも本屋に行って本を買ったりして研究に一所懸命だった。当時の神奈川県高校サッカー界は、湘南と鎌学が雌雄を争っていて、慶応は二回戦ボーイだった。夏休みを迎えたある日、大前監督と相談した。「思い切って大前先輩の故郷に遠征合宿をやってみようと思うが、どうでしょうか?」「前例のないことだがやってみよう」そこで話はまとまり、和歌山県新宮での遠征合宿となった。猛暑の中で選手は大変だったことだろう。しかし、私は必死になにかをつかみたかった。そのための遠征であった。
ドリルで開眼 幸運は待っていたのだ。その夜、私は大前先輩の父上にお会いすることが出来た。ピッシリとサッカー関係の書物があり、しかも外国のサッカー関係の本を訳した原稿もたくさん含まれていた。真夏の夜、聞き耳をたててきいたお話の中で、ハンガリーのサッカーの指導書の“ドリル”という言葉で表現した練習方法が私の興味をひいた。「これだ、短期間で強いティームを作り上げるにはこれが一番だ!!」-そしてその夜、一晩中私はドリルの事についてお話しを聞いた。
遠征は終った。選手は猛暑の中の試合で何かを感じたと思ったし、私自身も大きな収穫を得て、胸をおどらせて日吉のグラウンドに帰ってきたのだった。それからの練習は山中湖の合宿も含めて、ランニングとドリルの繰り返しであった。そして驚くなかれ、今までの選手が見違えるようにたくましくなって来たのだった。
結果は“国体予選で準優勝”“全国選手権予選で準優勝”しかもいずれも2対1の惜敗であった。それも日本一下手な審判(本人の名誉のために特に名を秘す)のために全く不可解なハンドによるPKをとられたためである。今もって絶対にハンドではないと信じている。
決勝戦で敗れた時、私は悔しくて選手たちと抱き合ってワンワン泣いた。あの時優勝していれば私と選手の歴史はもっと変っていたかも知れない。

一貫した指導を いま冷静になって考えると、ずいぷんと無茶な練習をしたものだと思うし、また反面、あんなにおとなしいお坊っちゃん育ちに見える選手たち全員、レギュラーになれない人々までもが、最後には必死になって、目の色を変えて練習についてきたのが不思議でならない。人間というのは、大人になればなるほどなまけ心が湧いてくる。楽をしようと考えたがる。しかし少年たちは違うのである。
さて、サッカーの指導ということは、子供から大学、そして全日本まで一貫したものでなければならない。人間の身体は、どこかの毛を一本ひっぱっても痛いと感じる。同じように、サッカーの指導というものもそうでなければならない。
心からサ。カーを愛し、良い選手や良いティームを育てようと思っても、小学校には小学校のサッカーがあり、大学には大学のサッカーがある。そして六年、三年、三年、四年でティームの中にいた仲間がバラバラになってゆき、とても一貫した指導は出来ない。それが現状である。サッカーの考え方は、ワールドクラスのサッカーでも、田舎の広場で少年たちが楽しんでいるサッカーでも同じである。全日本の選手たちは、子供たちの模範とならなければならないし、役に立つものでなくてはならないのである。         
果たして、現在の日本で何人の選手がそこまで考えてサッカーをやっているだろうか?まして大学ではゼロであろう。
大学生は高校生の模範でなければならないのに……。
勝つことが大切 さて、ここで私か現在コーチをしている静岡学園高校の実態を述べてみよう。学校の歴史は十年、サッカー部が今年で九年目、私がコーチに入って五年たった。現在部員は三十二名。小学生、中学生時代から素質のありそうな選手、これから伸びそうだと思う選手を自分の目と足でみつけてくる。もちろんスカウトする訳である。
また父母の会、OB会、その他のあらゆる仲間に頼み、有望選手を調べ、何回も試合場に足を運ぶ。そして勧誘する。
良い選手を育てるだけでは誰もが認めてはくれない。この国では勝つことが大切なのだ。そして勝って初めて良いティームだ、良い選手だという事になる。試合に負けて、どんなに良い選手だ、良いティームだといっても、それは負け犬の遠吠えにすぎない。
事実、私はこの五年間で国体代表選手三名(静岡県で代表になるのは大変なことである)、ユース代表選手一名を育てた。しかし、ティームとしては当初無名だったので、スカウトしても選手が集まらず、いくら頑張って猛練習したとしても、ベスト4に入るのがやっとだった。それでも三年連続三位に入っている。
しかし優勝していないから県内で知られても、協会(中央)は全然知らない。だから、いくら良い選手でも、大学も実業団も全然知らない。だからこちらで売り込みにゆく。相手は、こちらが無名なので半信半疑である。ところが実際にやらせてみるとびっくりしてしまう。これが今までであった。
しかし二人や三人の良い選手を育てても全然だめだと気がついて、昨年から猛烈なスカウトをして素質のある選手を集めた。その結果は、素質プラス練習で、今までチィームにたった一名か二名の好選手しかいなかったのが、全部員三十二名の中で二十名近くが好選手で、その二十名近くの好選手の中から、よりすごい選手が十一名選ばれて闘うようになったのだから、試合には負けなくなるし、自分たちのサッカーを思う存分にやるわけだから、試合が楽しくなってくる。このティームは今年で二年目を迎えるが、WMフォーメーションで、スィーパーはおいていない。そんなものはぜいたくすぎる。試合は勝負であるから“絶対”はないけれども、この一年か二年のうちに全国大会ヘデビューするつもりでいる。その時は世間をアッと云わせたい。

猛練習の効果 練習はどうかというと、年間練習休みは期末テストの時だけである。ふだんは授業が始まる前に(早朝練習である)、風でも雨でも雪でも、関係なく一時間くらいやる。午後は三時五十分から七時まで、納得がいかなければ八時でも九時でもやる時もある。遠い所から通う生徒は、帰宅が十一時になる時もあるが、起床は五時である。
合宿は年間三回、春夏冬の休みを利用してやる。約一週間から四日間である。この時はこてんこてんに絞る。朝五時起床で二時間、午前二時間、午後三時間、夜は午前二時ごろまでやる。たいてい立ったまま眠るものがでてくる。その他に大事な大会の前に合宿に入る。年間試合数は約八十試合くらいである。毎日の練習は、まず一人一個のボールを持ってドリブルとリフティングから始まる。だから私のとこの選手は全員とてもうまい。
真にすぐれたプレイヤーとはその技術やインテリジェンスによって評価されるべきである。高校時代までに徹底してボールに多く触れることだ。ボールに多くさわればさわるほど良い。ドリブルとストッピング、トラッピングとヘッディグを何千回、何万回と繰り返してやる。サッカーの技術は、自転車に乗る感覚といっしょだ。それは一度覚えたら忘れるものではない。
次にやるのが一対一、一対二、一対三までやる。一人で三人くらい平気で抜けることを目標とする。その逆もやる。そうして段々人数をふやしてゆく。
体力トレーニングももちろん年間を通してやる。ハードルを十個くらい並べて両足跳び、片足跳びと十数種類、メディシンボールもガンガンやる。ダンベル、ナワ跳び、各自、自分の記録用紙をもって挑戦させてゆく。ランニングは十二分間のクーパートレーエングを一日おきにやっている。勝つためにはやはり体力と走力が絶対に必要だからやらざるを得ない。私も勝たせて全国大会へ行きたいのだ。
自己との闘いを厳しく さて振り返ってわが慶応義塾ソッカー部の低迷は一体何なのか、答えは簡単だと思う。良いサッカー、そして強いティーム作りのためには、猛練習をやることだ。練習をよそ様より数倍やって、試全をガンガンやることだ。血と涙の練習は真にサッカーを愛している選手やコーチにだけしか出来ないものである。
酒や煙草やマージャンや、ガールフレンドにうつつを抜かす長髪族にはとてもじゃないが続かない。サッカーはそんなに生やさしいものではない。良いサッカーをやろうとすればするほど、自己との闘いは厳しくなってくるものだ。
とにかく良いサッカー、強いティームを育てるのには、練習と試全をたくさんやることだと思う。そして良いサッカーのベースというものは、トライアングルであり、ドリブルその他の技術であり、インテリジェンスである。それか試合で発揮できるサッカーこそ“グッド”なサッカーである。
サッカーをやるのに、何もあわてて、前に行ったり、突っ走ったりすることはない。自分の能力とスピードをもって、頭脳と技術を発揮して、背が低くても高い人に勝つ工夫をし、足が遅くても速い人に勝つエ夫をし、自分の最も得意なことを試合の時、前面に出してゆくのである。
そうすればティームにたった一人の好選手、日本中のサッカー選手の中にわずか二人くらいのスターしかいないというのではなく、何十人という良いプレーヤーがどこのティームにもいて“素晴らしい試合”をして、その中からスター・プレーヤーがどんどん生まれてくる。
私は死ぬまでに、そういう本当に素晴らしい幻想的な偉大なゲームを選手たちに経験させてやりたいと思っている。
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コチラのブログから勝手に拝借させて頂きました。失礼します。

正直、静学のチャラいサッカー大嫌いでしたが、見方変る…。







【所要時間:50分】
50年史、まだまだ、あります。部歌、エンブレム(部章)も、ある一人の人物の制作だったりします。