2011年2月27日日曜日

■「早慶戦の歴史」

先週の天皇杯予選(東京カップ)での、慶應BRBと早稲田ユナイテッドの試合について、社会人リーグ初の早慶戦のような書き方をしてしまったが、先日、藤岡主務から以下指摘を頂く。とっくの昔から、この戦いは始まっていたようです。失礼しました!「天皇杯65年史」は、どこで手に入るのでしょうか・・・。

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この試合をもって「第一回社会人早慶戦」とかのたまう者ども、歴史を学びなさい。具体的には「天皇杯65年史」を買って読みなさい。非売品だが。そして知るのですよ、1940年の第20回大会天皇杯決勝がどの二チームで争われたかを。
慶應BRB1-0早大WMWとはっきり書いてあるじゃないですか!
「歴史的な初の公式戦での社会人サッカー早慶戦」
(早稲田ユナイテッド岩崎氏ブログ)
「いつか、これが、クラシコと言われる。」
(人見ブログ)
とか書いてる場合じゃないのであります。お前どころかお前の父ちゃんが生まれた頃からクラシコだっつーの。ものすげー久しぶりなだけなんです。なお藤岡が資料で確認した限りでは上記天皇杯決勝が社会人対決の最後。たぶん資料にならないところではもっとやってるはず。
ついでに後学のために記しておきますが、当時は大学卒業後、実業団リーグでプレーしてても天皇杯だけは母校に戻って学生と共に参加するのが一般的だったようです。なので正確には学生+社会人混成チームですな。そしてなぜかチーム名は全てユニの色。慶應BRB(Blue Red Blue)、早大WMW(Waseda Mable White)、東大LB(Light Blue)。早稲田はなぜ早稲田Wasedaと二回繰り返すのだろか。今度二宮さんに聞きに行こう。
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