今月号のサッカーマガジンのコラム「日本とサッカー90年」に、慶應ソッカー部の歴史が紹介されている。これは、関係者は必読ですね。慶應BRBの歴史は1922年、慶應ソッカー部(体育会としての公認)は1927年という認識でいたが、何やら微妙にズレている模様。
コラムによると、1921年(大正10年)にJFA(日本サッカー協会)が創設され、その年に第一回全国優勝大会(現天皇杯)が行われ、東京蹴球団(このチーム、今でもある)が優勝した。その時、2回戦で慶應義塾アソシエーション・フットボール倶楽部として東京蹴球団に0-1で負けた事実があるとのこと。ってことは、1922年ではなく、1921年には慶應BRBおよび慶應ソッカー部の歴史の扉は開かれていたようだ。その他、色々と年号には誤差があるようだが、とにかく、ソッカー部初代キャプテン濱田諭吉氏がドイツの指導書「フスバル」を読み込み、理論的な指導とリーダーシップでソッカー部を早稲田、東大のレベルまで引き上げたことは紛れもない事実。
時代は変ったが、どこのチームよりも、最先端の情報と理論を駆使して、日本サッカー界を引っ張っていくという気概は持っていたいと思う。
【所要時間:15分】歴史から学ぶこと、歴史を創ること。