2011年9月8日木曜日

■「職業としてのサッカー」

今年の慶應ソッカー部4年生は、河井陽介をはじめとして、
複数の選手が職業としてのサッカーを選択する。
慶應にとっては、過去に例の無いほどのJリーガーが誕生する。
自身の可能性を信じてチャレンジする勇気は素晴らしい。ぶっちゃけ羨ましい。
一方で、したたかに、人生を生き抜く知恵や知識を身につけて欲しいとも思う。

以下のコラムにあるような考え方が浸透して、初めてセカンドキャリア云々という議論が出来るのだろうと思う。

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■フットボールの熱源 職業への意識を持たないと
(日本経済新聞 9月7日朝刊) 

香川真司の代理人を務め、数多くの日本人選手のドイツ移籍を仲介しているトーマス・クロート氏は元西ドイツ代表選手で、引退後は2004年まで、米ゼネラル・モーターズ(GM)の金融子会社で上得意先営業マネジャーを務めていた。 プロになる前から、そのための職業訓練を受けていたという。18歳のときにオッフェンバッハから強豪ケルンに移籍。1978年のジャパンカップ(現キリンカップ)に参加できなかったのは、遠征日程が資格試験と重なったからだそうだ。
 以前、レーバークーゼンの育成部長を取材した際に、秘書をしている青年がいた。聞けば、ユースチームに所属し、年代別のトルコ代表に選ばれているほどの選手だが、将来を考え、クラブ職員のインターンをしているとのことだった。
 資格制度が整っているドイツならではだが、引退後の道を早くから具体的に思い描いている選手が少なくないという。それに比べて、たいていの日本人選手は、スパイクを脱いだ後の人生をあいまいなままにしている。プロである間はプレーに専念し、引退後のことはそのときになってから考えればいいという教えが幅を利かせている。
 少々、話はずれるが、C大阪のクルピ監督がこう話したのを思い出す。「ブラジルの選手は食べるためにサッカーをするけれど、日本には趣味の延長でプレーしている選手が多い」。つまり自分のなりわいへの意識が薄いということだろう。
 そうだとすると、引退後の「転職」のことを真剣に考える選手がまれなのは、なおさらだろう。プロのプレーを「仕事」と表現するのは味気ない気もするが、「これで金を稼いでいる」という必死な思いがないと、人を引きつけることはできないのではないか。職業への意識は邪魔になるものではない。(吉田誠一)
----------日経電子版

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