2011年4月30日土曜日

■「NPO打合せ@日吉」

日吉駅前で、慶應大学ラグビー部のメンバーが大きな声を出して東日本大震災の募金活動をしていた。

本日、NPO法人HIYOSHI SPORTS CLUBの総会@日吉。
昨年度の活動・収支報告と本年度の活動方針を議論。
まずは、1年間やってみて、新しい発見があったので良しとしたい。だが、やれることが沢山あるのに、マンパワー的に出来ないことも多々あり、不甲斐ないこともある。今年は、もう少し組織を強化したい。また、ソッカー部だけでなく、他の体育会も巻き込んで、大学および体育会の社会・貢献貢献(スクール事業など中心)活動を行い、その活動を通じて指導者育成などに繋げられればと思う。
※ご興味あるソッカー部関係者の方、人見まで連絡下さい。
 (もちろん、ソッカー部OB以外の方でも、構いません。)

体育会(Office of the University Athletic League)について、色々と調べれば調べるほど、なかなか複雑な組織であることに気づく。米国の大学のように「体育局」のような、全ての競技の部を一括して管理できる組織があれば、非常にシンプルなのだが…。

以下、体育会とは。
塾祖福澤諭吉は近代的な学校教育における体育の重要性をいち早く認め、これを「西洋事情」の中でわが国に初めて紹介するとともに、「先ず獣身をなして後に人心を養へ」(福翁百話)を教育理念とし実践した。既に明治初年には「ジムナスチックの法」を定め、西洋流の体育思想を取り入れ、三田山上にはブランコ・シーソー・鉄棒などを備える一方、和田塾(幼稚舎の前身)には柔道場まで設けられていた。こうした中で、1892 年に剣術、柔術・野球・端艇・弓術・操練・徒歩の 7 部からなる体育会が誕生した。現在、慶應義塾のスポーツに関わる課外活動は多くの団体が様々な形で行っているが、「体育会」とは慶應義塾を代表して対外試合にでることが認められている体育団体の総称を言う。慶應義塾体育会は学生スポーツの草分け的存在であり、野球の早慶戦に代表されるように、各部の歴史は、そのままわが国の学生スポーツ史と言っても過言ではない。「部」を頂点とする体育会では、新たな種目は「所属団体」「新種目団体」の段階を経て競技団体としての運営の基盤を整え「部」に昇格する。この厳しい過程を経て昇格した部は現在 39 部(2004 年 5 月現在約 1,500 名)を数える。また現在、所属団体は 8 団体、将来の部への昇格候補である新種目団体も 4 団体ある。こうして常に新しい時代のスポーツを取り込むシステムを早くから作り上げ現在に至っている。また医学部、理工学に在籍する塾生のスポーツの奨励のために、四谷部、矢上部も置かれている。
体育会は「気品の宣言・知徳の模範たる全社会の先導者を育成すること」そして「多病なる秀才」ではなく、「 頑豪なる秀才 」 を育成する、という慶應義塾の掲げる教育理念、いわゆる文武両道に秀でた人材育成を体育会活動を通じて実践することにある。「まずは塾生たれ、そしてその範たれ」が体育会活動の根幹をなす精神である。体育会は塾長を会長とし、体育会理事のもと別途制定されている「慶應義塾体育会会則」に基づき基本的な運営がなされている。

1.体育会施設の概要
体育会が活動の場としている主な施設は数多いが、それら諸施設の多くは老朽化が進み、現在の競技環境としては規格に対応できないものすらある。スポーツは、競技力向上のために基礎身体能力の強化も重要であり、そのための施設が専門のトレーナーを含めて必須のものとなってきている。その点では残念ながら慶應義塾はようやく緒に着いたところである。施設の多くは、これまで主として各部 OB 会からの多大な寄付を得て、整備を進めてきた。今後もその基本姿勢に変わりはないが、改めてスポーツの意義が問われる中、単に体育会だけの利用施設に留まらず、広くスポーツを通じた塾生・塾員・教職員および地域との交流の場としての観点から、競技施設の整備を慶應義塾としても積極的に進めたいと考えている。
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総会の後、日吉キャンパス内のHUBで一杯飲んでいたら、
血気盛んな学生に遭遇。キャンパス内でようやるなぁ~。
とはいえ、イッキはやめよう。しかも、うるさいよ君達。


【所要時間:20分】
CL準決勝、バルサ戦で退場したレアルのペペ。
以下のプレイなど、ずいぶん前から審判に目を付けられていたのかもしれない。しかし、11対11で最後まで見たかった試合だ。