2010年11月17日水曜日

■「スポーツに坊主は必要か?」

スポーツに坊主は必要か?」という企画を、大真面目に金子達仁氏のブログで展開している。自分も中学1年生は強制的に坊主だった。暁星も中学までは坊主だった。(自分は高校入学だったのでギリギリセーフ) 坊主にすれば強くなれるわけではないが、somethingはあるようだ。以下、国見高校サッカー部に関する記事を抜粋。

[特集]変わることのない坊主頭/国見高等学校 サッカー部 

国見高校サッカー部は、全部員が坊主、である。部内の規則であり、入部するための条件となっている。これは、近年の高校サッカー部においては珍しい.。全国大会を見ても全部員が坊主の高校は、一大会、片手で数えられる程である。クラブチームの台頭もあり、サッカーという競技において、坊主は明らかな少数派の髪型なのだ。 

「なぜ、坊主なのでしょうか?」 監督である高橋精一郎は「どうしてなんでしょうね」と笑い、続けた。「勝利を目指していくための昔からの伝統ですね。先輩達が築いてきたものを、崩したくないのでね」 サッカー部が坊主となったのは、小嶺忠敏の在任中の出来事であったという。 1984年から2007年まで指導した小嶺は、在任中に6度の高校サッカー選手権優勝、5度のインターハイ優勝を成し遂げている。 小嶺が就任した。坊主となった。サッカー部は躍進を遂げた。そして、強い国見は坊主である。84年から積み上げてきた歳月によって、プレーする生徒、憧れを持つ中学生、保護者、地域の住民、OBといった国見高校サッカー部に携わる全ての人にとって、坊主という髪型が部の象徴となっていった。 

 現在コーチを務める堀川は、「先輩方が作られた国見の伝統の上に私達がいるので、そこを崩すわけにはいかない」と言う。堀川は国見高校出身で、同期には大久保嘉人(ヴィッセル神戸)がいる。 実を言えば、高橋をはじめ指導者側の個人的な考えとして、坊主頭に対して執拗なこだわりを持っているわけではない。しかし、一個人の考えだけで、伝統を変えることはできないのだという。「僕たちは伸ばしてもいいんですよ。コーチはOBなので、髪を伸ばすか、伸ばさないかという髪型についてのは話します。しかし、長髪になったら国見ではないなって思ってしまう。そこは、伸ばしてもいいかなという気持ちはあるが、譲れないだろうと。長髪でピッチに立つようであれば、国見でなくなってしまう部分もある」 関取がまげを結うように、読売巨人が髭と茶髪を禁止しているように、国見高校サッカー部には坊主が存在し、長髪を禁止している。仮に髪を伸ばしたら、国見が国見でなくなるという危機感もある。 では、部として築き上げた伝統は、サッカーという競技の観点からすれば、どのような利点があるのだろうか。

 高橋はまず、競技に対しての集中力、をあげた。「生徒達は、髪が長いとそっちの方に神経がいってしまいますね。整髪料をつけて整えてお洒落をしたり、手入れをすることが必要になってきますよね。ただ、坊主だとその必要はないですよね。その分競技に集中できる。髪が長いと切らないといけないけれど、坊主ならバリカンがあればいい。経済的にも楽ですよね

 国見高校の練習は、絶対量として多い。朝練習は6時から始まる。授業後は16時から19時半まで練習して、寮だと22時半に消灯する。土日は一日中、9時から16時もしくは17時まで、練習試合も交えて行っている。練習時間が長いから、髪を切りに行く時間もない。坊主にするときは、部員同士が寮で頭を剃りあっている。 練習する時間を削り、サッカーを疎かにしてまで髪を整える必要はない。生徒がサッカーに集中できる環境を作りたい。無駄なものをそぎ落とし、サッカーのみに向き合う時間を増やす。お坊さんが世俗からの離脱の意味で髪を剃ることと、極めて近い理由が存在している。
 また、団結の強さ、にも影響している。
「例えば、髪を五厘にしたからと言って、選手が技術的に上手くなるわけではないですよ。しかし、チームとして、意思を統一することに繋がってくるかもしれないですね。髪を伸ばしたいけれども、伸ばさないという共通理解を作る。一つの目標に向かって団結して、頑張ろうっていうところに繋がっていくと思います」 堀川も同様の理由をあげた。「協調性を養う一環として、坊主ですね。これは日本的な考えなのかと思います。海外だとチームを強くするために、個々の選手の力を伸ばすと思うんですね。でも日本だと、部活動に関しては3年間同じ場所、同じ仲間なので、まずは統一を図らないといけない」 国見高校出身の堀川は、実際に選手としてグラウンドに立っている。生徒からすれば「強制であることは否めない」という事実を経験したうえで、坊主であることの利点を理解している。「坊主にすると、まず人の目につくじゃないですか。人の目につくことによって、人前に出ることに対して臆する気持ちはなくなりましたね。だから、選手権など人の目につくところに全員で出ると、団結力がでてくるんですよ」 当然、プレーにも影響が出てくる。
「僕達は自分たちのことを、百姓サッカーと言っていたんです。農民が一揆を起こすのと同じ意味合いですね。みんなが全員で攻撃して全員で守る。その意識というのはチーム力。つまり、統率力ということですもんね。その意識を植え付けるために、小嶺さんが坊主頭にしたんじゃないかと思うんです」 高橋、堀川の話から坊主にする利点として、競技への集中、団結の強さ、の二つがあげられた。坊主という髪型は、技術面を向上するための補助の役割を果たしている。
 しかし、坊主という髪型自体を、全ての生徒たちが好んでいるわけではない。今でこそ坊主で、その魅力や利点を知っている堀川も、当時、ビジュアル的には好きではなかったという。他の部員に関しても、「本音の部分ではしたくなかったのでは」と思っている。   現在、FC琉球に所属する永井秀樹も、国見高校出身である。 永井はプレーからも容姿からも、39歳という年齢は想像できない。沖縄の太陽で焼けた浅黒い肌に、より金に近い茶色の髪を短くして整えている。 「そりゃ、坊主は嫌だったよ。ありえない」 永井も坊主は好んでいない。 
 だが、永井も、堀川も、嫌ではあるものの坊主にして、国見高校サッカーに入部している。理由は一緒であった。「国見高校でプレーしたい」からである。国見高校で坊主にしてプレーするか。髪型は自由な他校でプレーするか。二人とも前者を選んだ。強い国見でプレーしたい。上手くなりたい。レベルの高いサッカーがしたい。サッカー選手としての向上心と願望は、坊主に感じる抵抗と嫌悪を、優に勝るものであった。 国見高校に入る生徒でも、永井や堀川のように坊主のビジュアルに抵抗を覚えていた生徒もいる。むしろそちらの方が多数派である可能性が高い。坊主が嫌で、国見への入学を拒否する人もいる。また、OBのJリーガーをみれば、どの髪型が好まれ、好まれていないかがわかる。
 それでも、坊主は続いている。
 理由は、ひとつに高橋が述べた伝統の力である。他校ならまだしも、国見であるから変えない。強さの象徴でもある伝統は、小嶺が去った後も、監督として守らなければならない。指導者側として考えても、利点はある。そして、もうひとつ。
 部活特有の縦社会、である。
高橋は言う。「昨年度に卒業した生徒に選手権の後、来年から髪を伸ばさせようかなと言ったんですよ。そしたら生徒達が『先生、それはやめさせてください』と。普通だったら、別にいいんじゃないですかって言うんだけど、『自分たちが坊主だから坊主でしょ』って。自分達が卒業した後に、長髪とかになると嫌なとこもあるじゃないですかね」

 坊主の精神面での役割を「本当に強い奴らなら、坊主にしなくても強い」と言い、仮に高校の監督になったならば「髪も服装も生徒に全て自由にやらせ、考えさせる」という永井でさえも、母校の国見高校に関しては、坊主でないといけない、と言っていたという。 頑張った。耐えた。抑制した。自分達も坊主だから、お前達もな。先輩と後輩が築く関係も、坊主が続いている理由である。 また、部外からも国見の坊主を賞賛する声が上がっている。昨年度、2年ぶりに高校選手権に出場した際、全国から「青と黄のユニフォームで坊主頭の選手が走ったときは嬉しく思いました」という手紙が多数寄せられている。

 高橋は、やめてもいいと感じる部分はありながらも、国見にとって坊主は欠かすこのできないものだと思っている。
国見にとって、髪型はユニフォームの一つなんですよ。青と黄色の上下のユニフォームを着て、練習で焼けた黒い肌で、坊主頭。どれ一つひとつが欠けても国見ではないんです」  高校サッカーのなかでは、少数派となった坊主頭も、国見ではこれからも続くだろう。 根拠ははある。 髪に気を使わなくてもいいし、団結力や統率力もつく。そして、何より、国見高校サッカー部だからである。

金子達仁氏オフィシャルウェブサイト

しかし、国見の選手が大学進学して東京に出てくると、高校の反動から98%茶髪になるのを見て、「痛いな」と現役時代思った。最近は、そもそも茶髪が流行らないからあまり見かけない。逆に、茶髪の選手がいると、若気の至り丸出しで、新鮮というか、「一人バブル」というか、何とも哀愁が漂う…。

【所要時間:30分】

■忘れもしない丸坊主

暁星高校3年生の時、林監督に怒られて、3年生でミーティングして、反省を態度で示そうと話がまとまり、キャプテン山藤が「頭丸めよう!」と。素直な俺は、その日、新所沢駅の閉店まぎわの床屋に飛び込み、綺麗に丸坊主にした。翌朝、学校に行ってみると、3年生で丸坊主にしている人が約半分のみ。残りは昨日と変わらない髪形。一番タチが悪いのは中途半端な丸坊主=ベリーショートな奴。お前、それ坊主じゃねーぞと。未だに、同期会で、坊主した派と、しなかった派に分かれる。しかし、そもそも、キャプテン山藤の基本の髪形が、限りなく坊主に近かったことを俺は忘れない。

俺とベトは丸坊主した派。福田と上田はしない派。福田に至っては、「丸坊主の非合理性」を偉そうに説いていた。